「学力」って、なんなの?(総合教育会議・傍聴記②)

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【意味が共有されていない、「確かな学力」】

ふたつめの協議・調整事項は、「子どもの学力の向上について」。

今年の4月末に実施された「平成26年度 全国学力学習状況調査」の結果を踏まえて、A3版両面にまとめられた「学力に関する国分寺市の現状」が、資料として配布されました。

 

そこで、ふっと思い出したのが、昨年、教育ビジョン策定の検討委員会を傍聴したときのこと。(今回決定された教育に関する大綱でも、「施策の方向性Ⅰ」の「ビジョン2」に掲げられていますが、)「確かな学力」という文言について、「市民に尋ねられた時に、具体的にどう説明すればよいのか」ということが、メンバーからの疑問として提示されました。

それに対して、検討委員の某校長は、「これは、もう何年も前から指導要領で使われている言葉ですので」と。

 

つまりは、いわゆる「業界用語」の一種で、「使って当たり前、知ってて当たり前」ということなんでしょうが、それをいざ説明しろとなると、意外と理解が曖昧になっているケースが多々あります。

まさに、この校長は、その陥りやすい罠に、まんまとはまってしまっていて、具体的な言葉で明確に説明することができなかったんです。本当はそれはとんでもなく重大なことなんですが、メンバー間での遠慮があるのか、その問題自体もなんだか曖昧にされてしまいました。

(横道にそれますが、内輪だけの委員会だと、パワーバランスもあって、こういうことになりがちなんですよねー。だから、何のしがらみもない、市民目線で検討できる外部委員を入れるべきと、かつての文教子ども委員会で、私は主張したのです!)

 

【国分寺市としてのビジョンは、ないの?】

今回、配布された資料には、「確かな学力」とは、「基礎的・基本的な知識や技能に加えて、学ぶ意欲や思考力・判断力・表現力などを含めた幅広い学力を、確かな学力という」との、文部科学省のホームページから引っ張ってきた説明文が最上段に掲げられているのですが、なんか、一つひとつの言葉の意味としては理解できるんだけど、全体像として、わかります?

「指導要領に載っているので……」という説明と、ほとんど変わらないと、私には思えます。

 

国が一律に号令をかけるのではなく、基礎自治体ごとに「教育大綱」や「教育ビジョン」を策定し掲げるしくみになっているわけだから、本来であれば、この曖昧模糊とした定義についても、国分寺の子どもたちの実態や課題に引き寄せて、さらには市として子どもたちに託す理念なり理想なりを加えながら、自らの言葉で、目指すべき「確かな学力」とは何ぞやということを掲げるべきと、私は思うのです。

なのに、これじゃあ、子どもたちに、「自分の頭で考えなさい」とか「自分の言葉で語りなさい」とか、言えないよね。

 

【目指すべき「学力」を、確かに理解できている人は、いるの?】

傍聴記①にも通じるのですが、曖昧模糊とした定義のもとでの実践は、絶対にズレやブレが生じます。

実際に、この会議の中でも、学力についてや、具体的な取り組みについて、そもそも論の質疑が交わされていました。

いちいち書き留めなかったので詳細のご紹介はできませんが、第2回の会議の議事録がアップされた際に、ぜひご確認ください。

 

 

tomoko