世間の思い込みと対峙するために②

Download PDF

議員になってすぐの頃、障がいのある人たちに対する就労支援について、議会で提案した。
ところが、又聞きで、思わぬ反発を受けていることを知った。
それは、「障がい者を働かせるのか」という怒りであるという。
障がい当事者は、一般企業で働くことなど望んでいない。むしろ、福祉作業所の拡充こそをはかるべきであると。

 

私はそうは思っていないからこそ、議会という、公式の場で発言した。
それまでも、数は少ないかもしれないが、障がい当事者、あるいは家族の人たちとお会いしてきた。
そのなかで、「お金を稼ぎたい」とか「親に小遣いを渡して、親孝行したい」という、
社会に巣立った子どもの立場からすると当たり前であるが、なかなか実現できない苦渋の願いをいくつも聞いた。

また、自分亡き後の子の社会的な自立を模索する親御さんの、悲鳴にも似た訴えも聞いてきた。

たしかに、「自分は働けない」とか、「うちの子には無理」と、言う方もいた。
でも、それこそが、「障がい者は、一般就労できない」という、「思い込み」が基になっていた。
社会のシステムや人の意識が変われば、障がいを含めて様々な課題を抱えていても、働く場は必ずあるし、
この世の中に、そういう場は絶対に必要なんだと、私が想いを伝えると、
「それでも」と反発する方は、ほとんどと言っていいほどいなかった。
むしろ、「本当は、そういう世の中であればいいと思っていた」という、本音を吐露してくださったりもした。

 

とはいえ、私のような主張をする人は、当時はかなりの少数派であった。
言えば言うだけ揺り戻しもあり、確固たる信念を持っているつもりであったが、自分の中でもかなり揺れた。
もしかして、独りよがりなのかもしれないなーと、思ったことも一度や二度ではなかった。

 

けれども、不思議なことに、そういうときに限って、私を叱咤激励してくれる救世主が現れた。
働きたいと切望する当事者の声であったり、地域で働くためのサポートを長年にわたって実行されている方のお話であったり、企業自体が障がいのある人の就労を支援する取り組みを始めたというニュースであったり。

そのたびに、「やはり、この方向で変革を進めていかなくては」と思い直し、そのための論拠と言葉を、ただ只管に地道に自分の中に蓄積し、行政はもとより世間と向き合ってきた。

 

今では、障がいがある人が働くという意思を持つことを、否定する人は、ほとんどいない。
(この、あえて「ほとんど」と付け加えなければならないところが、残念ですが)

 

これは、当事者を含めた様々な人が、実証結果を含めた確かな論拠と、
働くということは権利であり、個人の尊厳を尊重することであるのだという真理を、
感情論ではなく、理論的な言葉で積み上げてきた成果であると思う。

 

自分がその一助を担うだけの力になっているとは、正直言い難い面もあるが、自分なりには、正当な戦いを続けているんだという充足感はある。

tomoko