私の奮闘記〜世の中の「常識」(=思い込み)に対抗するためには、しっかりとした論拠と言葉を持つべき

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以前にも、このホームページで書きましたが、私の大学の卒業論文は、「母性本能」がテーマでした。

「母性本能は存在しない。子どもを育てる意欲や、子どもに対する愛着の感情は、体験や学習によってのみ、獲得するものである」という仮説を立てて、
それを検証するための設問を組み立て、
母校に頼み込んで、小学生・中学生・高校生・大学生(いずれも女子)、妊婦を対象にして、ものすごい数の調査票を配りました。

 

27年前のことですが、調査依頼時にテーマをお伝えすると、大抵が怪訝そうな反応を示されました。
就職活動の面接の席上でも、まず間違いなく、卒論のテーマを聞かれるのですが、
男性面接官のほとんどから嘲笑を受けたことは、今でもはっきりと憶えています。
民間企業の面接官どころか、大学の卒論審査の場でも、教育心理学の先生方から、
「母性本能が存在しないという仮説自体が成り立たない」と、一蹴されました。
膨大なアンケート調査の結果からは、明確に、当初の仮説通りの結果が示されたというのに……(`ε´)

 

私がなぜ、このテーマを選んだのか。
それは、今後私が社会に巣立ち、生きていく上で、絶対に必要な論拠だったからです。
それは、どういうことか。

 

私はずっと、「結婚して子どもができても、働き続けたい」という思いを抱いていました。
今でこそ、社会全体で応援するみたいなことになっていますが、
30年以上前の女子がそんなことを口にすると、集中砲火を浴びました。
高校の教室でも、大学の授業でも、「母親が仕事を持つこと」をテーマに、二者に分かれて議論する機会があったのですが、まさに多勢に無勢でした。
忘れもしないある教授からは、多数派の論の方が正しいというような裁定をされて、大変憤慨しました。

 

女子の中には、仕事を持ちたいという思いがありながらも、結婚や子育てをしたいのなら、そういうことを思ってはいけないんだと、自らを戒めている人たちが少なくありませんでした。
当時の女性の就業モデルは、結婚あるいは妊娠時に退職するか、結婚せずに一生働き続けるか、
二者択一しかありませんでした。
私はやりがいのある仕事を一生続けたいと思ったし、結婚もしたいと思ったし、子どもも育ててみたかった。
この当たり前の思いが、当時は「我がまま」とか「変わってる」とか、
挙句の果てには、「無責任」「母親になる資格なし」とまで、言われたんですよ〜〜みなさん!!

 

それで、「女性は子育てに専念しないといけない」と主張する側の論拠となっていたのが、
「女性には母性本能がある(男性には母性本能はないので、子育ては適さない)という、当時の「常識」でした。
私はずっと女子の群れの中にいたので、経験上、「女子でも子どものことが大嫌いな人がいる」ということを肌で感じていました。
また、その頃から徐々に、「子育てができない母親」のことが、一部でささやかれ始めていたこともあり、
「ありもしない母性本能を根拠に、女性に子育てを押しつけるな」という怒りも込めて、卒論のテーマを選びました。

 

そんなこんなで、多方面からけんもほろろの扱いを受けた私の卒業論文ですが、
同級の仲間内でも突出した膨大な調査データを基に導き出した結論に対して、
私は揺るぎない自信を持っていました。
そのことが、結果として、「自分は、子どもがありながらも、仕事をしてもいいんだ」という、
明確な根拠となりました。
また、同時に、それ以降、顕著な社会問題化した、「子育てに課題を抱える母親」の問題に対しても、社会のバッシングに反して、私自身は、何が本当の問題なのかという、事の本質を理解することができました。

 

この世の中には、個人の生き方や行動を制限しようとする思い込みやしがらみが、
まだまだ存在しています。
それに太刀打ちすることは、容易なことではありません。
でも、黙っていては何も変わらないばかりか、さらに傷つく人が増えていくだけです。
かといって、感情的に騒ぐだけでは、真の理解者を増やすことはできません。
真実をしっかりと見据え、それを正確に的確に表現する言葉を持つこと。
それが、変革に向けた基礎・基本ではないかと思います。

tomoko