行政職員は何のために存在しているのか? 果たして必要なのかと、甚だしく憤っている私

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今日の午前中は、「国分寺産の農作物を美味しく食べる」活動についてのお話を伺いました。
これは、行政やJAではなく、
「地場野菜の新鮮さや美味しさを市民に伝えたい」「国分寺の農地を守りたい」という、
熱い思いを抱いている市民が主体となって取り組んでいます。

 

私はこれまで、このような、市民や市民団体による主体的な活動を応援してきましたが、
一方では、官民の役割分担として、
地域ネットワークやまちづくりのコーディネートについては、様々な情報が集中している行政が担う方が適切だろうと考え、いろいろな場面で求めてきました。

 

しかしながら、とかく行政は、それが達成できた時の喜びを想像するよりも、
何か問題が生じたときの責任問題におびえるという、超ネガティブ思考なもんで、
なかなか最初の一歩が踏み出せません。

 

何事もやってみなきゃわからないし、壁にぶち当たったら、その時にその時に適切な方法を考えればいいし、むしろピンチをチャンスと捉えればいいじゃないかと、
議会の場などで叱咤激励するのですが、
「研究します」「検討します」「お時間ください」と、大変ガードが固いのです。

 

その結果、何にも進まないし、何も変わらないままに、いつの間にか担当職員が入れ替わり、
案の定、せっかくの提案も、まるっきり他人事のように、たなざらし、なし崩し、なおざりになってしまっています。

 

そんな風に行政が何もやってくれないから、
じゃあ自分たちでやろうと、市民が行動を起こそうとすると、
いきなり支配者のような顔をして、なんだかんだと難癖をつけ、
行動も気持ちもぺしゃんこに、すっかり萎えさせてくれている始末。

 

今日うかがったお話だけではなく、
ここ数日、行動しようとする市民に対する、
行政職員の見当違いの、高圧的な態度を耳にする機会が複数あり、
とにもかくにも、はらわたが煮えくり返っている私です。

tomoko