議会における議員の発言の重さ

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都議会における「議員の不規則発言」について、都内のみならず、グローバル規模でも様々な議論がなされています。

私自身も議員として、不規則にしろ、規則内にしろ、議員の発言は大変重いものだと、常に自己を戒めています。
それは、議会内での公的な発言だけではなく、日常生活におけるほんの呟きであっても、です。
(同時期に謝罪して発言の撤回をした某大臣などは、まさに後者です)
人権を侵害するような発言は言語道断ですが、
単なる噂など曖昧で不確実な内容や、他からの無断引用、あるいは自分の独断というか思い込みによる決めつけなどについても、
議員の発言としては不適切だと、私自身は考えています。

 

だから、議員になったばかりの頃など、発言の影響を自覚すればするほど、自分が話すこと自体、
本当に怖く感じました。
けれども、一方では、「議会は言論の府」と言われるように、賛成反対の理由、政策提案、合意形成に向けた意見交換、市民への説明責任も含め、
言葉で表現していくことが、議員の仕事でもあります。
怖いから、何か問題になると厄介だから、という理由で、
議会で何も発言しない、日常生活の中でも大事なことは話さない、というのでは、
議員の職務・職責を果たしているとは言えません。
でも、新人議員としては自信がない……。
こういうジレンマに陥っている議員もいらっしゃるかと思います。

 

私の場合は、まず、誤解を生じないよう、人に対して不快な思いを与えないよう、考えを正確に的確に伝えられるよう、言葉を精査する努力をしました。
たとえば、「正確」「的確」「確実」「妥当」「適切」など、似たような言葉ですが、使い分けをした方がより確実に意図や意思が通じる場合があります。
また、一般質問の原稿を書くときには、つい「書き言葉」として文字を見てしまいますが、
音で表現する「話し言葉」として見ていかなければ、言葉の意味はもちろん、自分の気持ちすらも正確に伝えることはできません。

 

次に、発言する際には、自分の中で必ず、根拠や理由を明確にするということを、心掛けることにしました。
なぜ賛成するのか、なぜそういう提案をするのか、あるいは、なぜ納得したのか、なぜ発言しなかったのか。
後から誰かに問われた際に、しっかりと説明できることが第一ですが、
「なんとなく」とか「周りの雰囲気に流されて」「単なる思いつきで」というスタンスでは、自分自身が自信を持って発言することはできません。
発言を否定されたとしても、自分の発言を妨げるようなヤジが飛んできたとしても、揺るがず発言を続けていくためには、
誰よりも自分自身が「発する言葉に対する使命」と「発する言葉に責任を持つ覚悟」が不可欠だと、
私は思っています。

 

議員は、自分自身の政治信念だけではなく、
託された「市民の思い」「市民の苦悩」「市民の理想」などを、
しっかり議会につなげていく、発言していくことが求められています。
ときには、「言いにくいな〜〜」とか「絶対に反発されちゃうな〜〜」と、躊躇してしまうこともあります。

でも、なぜ今自分はこの発言をしなければならないのか、その根拠や使命、
また、発言をしないことによってどのようなマイナスの影響が生じるのか、ということを自分の中で明確にすることが、
発言をするという行為につながり、同時に自分の発言に対する説明責任にもつながってきます。

 

それと同時に、「怖い」と感じる気持ちも大事ではないかとも思うようになりました。
本当に自分の発言は間違っていないのか、誰かを傷つけるようなニュアンスが含まれてなかったか、正確に発言できたか、あそこで止めてしまってよかったのか。
いまだに発言した後には、あれこれと考えてしまいます。

それは、議会での発言だけではなく、このホームページでの表現でもそうです。
アップしてからも、アットランダムに読み返しては、場合によっては修正を加えることもあります。
「怖い」と思うからこそ、最悪の事態に陥らないようにと、気をつけるのです。

 

今回の問題に関して言えば、怖いものがないから、何を発言しても誰からも咎められないし指摘もされない状況であるから、
発言する際の準備もしないし、発言に対する責任も持たないという、
思いつきの言いっぱなしの、無法地帯になってしまっているのかもしれません。
つまり、それだけ都民が軽視されてるということでしょうか。

tomoko